Our Stafff
化学染料の鮮やかな色合いが好まれていた当時から、植物染料の使用への移行を理解し、
共に悪戦苦闘しながら今の商品作りに携わってきたかけがえのないSTAFFです。
◉Nou Neath◉
センターの指揮者として,カンボジアの女性が世帯を持ちながら続けて仕事が出来るような 市場を探しています。
彼女は訓練所のセンター長として訓練センターの統括をはかるだけでなく、村の女性が外に出て仕事ができるような環境を作る活動を長年行っています。
カンボジアの村では子供を持った女性が家の仕事以外に働きに行くことはなかなかありません。女性も仕事を持つべきだという考えのもと多くの村を巡り村の人と話をします。
◉Samoen◉
私はサムーンといいます。綿でクロマーという布を織り、自然にある染料で染色が出来るようになったことをとてもうれしく思っています。
信じられないことに、私は今いち指導者となり、自分自身の家族のための収入を得ることが出来るようになりました。
これこそが本当のカンボジアの文化なのかもしれません
彼女は織物コースの先生として村から来た子供達に織物を教えています。化学染料から植物染料への移行や、化学繊維(レーヨンやポリエステル)から綿100%の糸を使って織物をしていくことが、市場を拡大するためにも必要だということに納得し、時間がかかるけれども品質が大切だということを理解してくれました。
村から来た女性が訓練を受けながらも収入を得るためには、彼女達の作るクロマーをきっちりとした価格で販売することと品質の改善が必要となっていました。
市場に出すための品質を確立するためには何年という長い年月が必要とされました。
◉Srey Ohn◉
私はガエット スレイオーンです。
この訓練所に来て織物を初めて10年になります。以前は生徒でしたが、今は先生になっていることをうれしく思います。
彼女は生徒としてこの訓練所にいましたが、ユネスコとの1 village 1 product プロジェクトの際に先生として
村での指導に従事しました。知らない土地で生活しながら村の女性に織物を指導し、当時20代半ばだった彼女の心身ともに鍛える期間となりました。彼女はあまり文字を書くことが出来ませんが、今の気持ちをこのように綴ってくれました。がんばり屋さんで難しい織物を進んで試作します。口ではンゴアップハウイ(こんな織物死にそう〜)と言いながらも絶対に最後まで織り上げます。
◉Phon Yeng◉
私はポーン ジェーンです。
この訓練所に織物をしにきて7年になります。また、訓練所の自動車整備のコースには私の弟も技術を学びにきています。
私はここで綿のクロマーを織ることが出来るようになってとてもうれしく思っています。これからももっと一生懸命織物をして今より良い織物を織っていきたいです。
彼女もまた始めは生徒でしたが、文字が書け、計算が出来ることからスレイオーンと一緒にプロジェクトに参加しました。織物は未熟でしたが、スレイオーンの苦手なことをきっちりとこなして二人三脚で村の女性に指導を行いました。訓練所に戻ってきてからは、織物の技術を上げるべく毎日しっかりと織り物を続けながら、センターで行っているコンピューターの授業に自ら参加し少しずついろいろな知識を身につけています。
彼女の家はコンポンスプー州という離れた所にあります。この州は雨があまり降らないことから作物が育ちにくくあまり裕福な土地ではありません。彼女の様に積極的な女性がまだまだ村にはいますが、まだまだ親元を離れて女の子が訓練を受けることに抵抗があります。
他にも先生として指導に当たっている女性がいますが徐々にアップします。